「一緒に歩いてくださる主イエス」  05.04.03
                        ルカ24:1〜12

 イースターの朝、墓から出ていかれた主イエスは、どこで何を
されていたのでしょうか。
 主イエスは、墓の中にとどまるのでなく、エマオという村に向かって
進む二人の弟子たちの傍らに近づき、
 そして一緒に歩いておられました。主イエスは、そのように私たちに
近づいてこられ、一緒に人生の旅路を歩いてくださるお方です。

 この弟子たちは、特別の素晴らしい弟子たちだったから、主イエスが
近づいてくださった、というのではありません。ずいぶん問題のある
人たちです。彼らは、自分のそばに来られた方が主イエスだと気付き
ません。それほどに物分りが悪いのです(25節)。
 しかし、そのような者の傍らにも立ってくださるのが主イエスです。
 彼らは、暗い顔をしていました(17節)。途方にくれて、悲しくて、進め
なくなってしまいます。そのような者に「どうしたのか」と問いかけ、
その悲しみに心を合わせようとしてくださるのが主イエスです。彼らが、
主イエスに向かって言う言葉には批判がこもっていました(18節)。
 「よそから来た人だ。何も知らないのですね。」そんな失礼な
態度の弟子に、主イエスは腹を立てて立ち去ったのではありません。
 「どんなことですか」と問いながら、なお傍らに立ちつづけてくださる
のが主イエスです。彼らは、主イエスがいなくなったと言います(24節)。
 彼らは、主イエスが自分たちのことを嫌になったと思い込んでいます
から、墓から出て自分たちから離れて遠くに行ってしまったと思っています。
 しかし、そのように、思い込んでいる者の目を開けようと、主イエスは、
もう、すでに傍らにおられるのです。そのような主イエスのお姿を知らせて
くれるのがこの場面です。

 どんなに、神様に愛される資格などないと思えても、見捨てられて
いるように思えても、暗い顔をするしかないと思えても、主イエスの
ご愛に包まれていることを疑う必要のないことを知らされています。
墓から出た主イエスは、私と一緒に歩んでくださる方です。